Profile

兼松 純(Jun Kanematsu)

写真家。立命館大学法学部卒業。生まれ育った滋賀県を拠点に田園風景・山・寺社・祭事を撮影。
2009年葵祭「社頭の儀」の撮影を契機に、祭事の記録撮影と広告書籍への写真提供を行っている。

撮影地域の文化を紹介する活動を続ける傍ら、写真とWebを通じて被災地からの情報発信のサポート消えたサイトの復元にも取り組む。アマナイメージズ契約作家。滋賀県大津市出身、草津市在住。

撮影歴(略歴)

・2016年〜比叡山千日回峰行の道(飯室行者道・無動谷行者道)を撮影中

・2014年2月〜アマナイメージズ契約作家として滋賀・京都・奈良を中心に撮影⇒STOCKPHOTO収録

・2013年7月:大友皇子最期地伝承がある鞍掛神社の例祭を撮影。以後、祭事の撮影を精力的に行う

・2013年3月〜『近江山河抄の舞台を歩く』(白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』を写真で再現)

・2012年および2015年:葵祭社頭の儀を撮影。以後、寺社・神事の撮影が増加

・2010年3月・9月:韓国世界遺産の旅(慶州・釜山・ソウル)

・2009年〜 葵祭前儀「献撰供御人行列」撮影 

・2006年〜 琵琶湖畔のまち・堅田を撮影2007年12月より、ブログKatata/堅田で掲載中

・2000年〜 花・自然・里山を撮影

 

兼松純写真事務所(Jun Kanematsu Photo Works)

・所在地:滋賀県草津市

・撮影分野:風景(町並み・街道歩き・低山・里山・花)、祭事(記録撮影)、寺社仏閣庭園、文化財(仏像、古墳)

・祭事の撮影:2012年・2015年には、葵祭の神事「社頭の儀」(一般非公開)を、京都の下鴨神社で撮影。その際2012年に俳優の津川雅彦氏、2015年に歌手の平原綾香氏を撮影する機会を頂きました。

・カメラ NikonのAPS-C機:「比叡山登山にも持っていける重さ(レンズ込みで約1.5kg)、氷点下の気温でも長時間撮影できる性能、素早いAF、クライアントのニーズに合致する高画素数、三脚なしでも撮影できる(お寺は三脚不可が多い)」ことから、私の撮影スタイルに合うため愛用しています。

・モニター EIZO CG247

 

Work

書籍への写真提供名城をゆく(10) 安土城 (小学館・2015/8/4)・ひかりのくに(幼児用図書)・ユーベルグループ会員誌等。

小学館「名城をゆく 安土城」
Publication(Japanese):Visit wonderful castles in Japan(10)Azuchi Castle (Bi-weekly magazine publishd August 4, 2015 by Shogakukan)

 

 

広告への写真提供親子で行く修学旅行 奈良(JR東海ツアーズ・2016/9〜2017/3)・VISA会員誌掲載広告(京都観光企画株式会社)等。

海龍王寺の写真(親子で行く修学旅行 奈良) Advertising:JR Tokai tours “Nara”(Nara,Japan)

海龍王寺本堂

 

STOCKPHOTO -amanaimages-(アマナイメージズへの提供作品)

 

 

Private

ご訪問ありがとうございます!掲載写真は、滋賀県高島市鵜川(鵜川四十八体石仏群)にて、家族が撮影してくれた一枚です。

私は滋賀県大津市生まれで、現在は草津市を拠点に、2000年頃から風景・里山・寺社・祭事などを撮影しています。

2006年に琵琶湖畔の町・堅田(滋賀県大津市本堅田・今堅田・堅田)に出会って本格的に撮り始め、2007年12月末に開設したブログ「Katata/堅田」で発表してきました。

 

堅田出身・在住者ではなく、今のところ堅田へは通って撮っています。←京都の人だとか高島在住だ、いや仰木の里だとか、会う人ごとに怪情報?が流れたので、以後明記しております。

普段は山を歩いたり、革靴を磨いたり、のんびりケーキを焼くのが好きです。ネコと堅田と写真を愛する人間です。

これからも滋賀や色んな土地の美しい風景を撮り続けて、その歴史や風物を末永くご紹介していくのが夢です。

 

20代から30代前半は法律を専門に勉強していた時期があり、独立するために経理やWEBの勉強をしてきました。

実働はしておりませんが宅地建物取引士(旧宅建主任者)でもあり、プライベートで一戸建ての売買とマンションの売買に立ち会った経験があります。

現在はクリエーターの著作権保護や、盗用行為を防ぐためのサーバー設定の分野に関心があり、体験談を書いています。

>>もう一つのプロフィール(カセットテープで言うならB面)

>>クリエイターはデジタル作品の著作権侵害に”付随する問題”に現実的にどう対処していけばいいか(体験記)

 

Thank you for your visit.I am Jun Kanematsu,a Japanese photographer based on Shiga Prefecture where I was born and raised.I photograph landscapes, shrines, festivals, Satoyama etc.I am also working on supporting information dissemination of disaster areas and individuals through photos and the Web.I was born and raised in Otsu city, Shiga Prefecture. I Graduated from Zeze High School of Shiga Prefecture, Ritsumeikan University Faculty of Law (International Comparative Law Course).

Amanaimages(RM):JUN KANEMATSU/SEBUN PHOTO /amanaimages(02698)
Amanaimages(RF):JUN KANEMATSU/a.collectionRF /amanaimages(10737)

Posted photo in front of Ukawa Stone Buddhas(Ukawa,Takashima city,Shiga prefecture,Japan). It is a picture taken by my family.Since I have only taken other people and landscapes, I have no pictures of myself unexpectedly ^ ^;

Twitter  ⇒@jkanematsu
PhotoBlog⇒Katata/堅田

I love cats, Katata and photos.

“Creativity is just connecting things. When you ask creative people how they did something, they feel a little guilty because they didn’t really do it, they just saw something. It seemed obvious to them after a while.” Steve Jobs, Apple Inc.

 

***

 

こんなことを考えています(What I Think)


クリエイターはデジタル作品の著作権侵害に”付随する問題”に現実的にどう対処していけばいいか(体験記)

2017/8  初めてのワードプレス(16)検索に表示したくない画像がある場合の対処法(robots.txtの作成と設置方法)

2017/8  初めてのワードプレス(15)画像の直リンク禁止と自動コピーサイト作成阻止法(.htaccessで出来る盗用対策)

2017/8  初めてのワードプレス(14)訪問者に配慮しつつ画像文章の盗用対策になるプラグイン3選

2016/12 キュレーションサイトの問題点と法律論・対処法について、まとめました

2016/7 悪気のない無断転載。 著作者のあなたが後始末しなければならないなら、どうする?

2016/6 写真の無断転載に抗議して使用料の話をしてみたところ…某バイラルメディア/キュレーションメディアの無断転載がひどすぎる件

2015/10 Googleに著作権侵害の申し立てをするときは「名前の公開」に気をつけて!〜ブログ移転裏話その1


2013/2/9&2/12 【最近考えたこと】安心して情報発信を行うために〜実践編:発信者の安全・プライバシーに配慮した方法を考える

その1→https://katata.info/2013/02/safety-of-information-transmission-1/
その2→https://katata.info/2013/02/safety-of-information-transmission-2/
その3→https://katata.info/2013/02/safety-of-information-transmission-3/

“Creativity is just connecting things. When you ask creative people how they did something, they feel a little guilty because they didn’t really do it, they just saw something. It seemed obvious to them after a while.” Steve Jobs, Apple Inc.

 

****

 

今まで書けなかった、もう一つのプロフィール(B面)。2016年夏に初めて掲載した文章です。

私のこと(ABOUT ME)


 

以前に当サイトをご覧になった先輩写真家の有賀さんから別件でメールをいただく機会があり、「もっと自分のことを書いてもいいよ」と後押しされて、初めて自分のことを書きます。

 

先日来、海外のテロや津久井やまゆり園の事件があって、改めて感じたのは、ひどい言葉や暴力は人の心に恐怖と悲しみを生むということでした。普段は意識していなくても、何かの拍子に心の奥から浮かび上がってきてくる悲しみは、なかなか言葉になりません。

 

数十年前に大津の「同じ」学校区で・・・

遡ること数年前、ある中学校でいじめ自殺があったとき、同じ市の出身である私のブログにも嫌がらせがありました。皮肉なことに、私が数十年前にいじめに遭ったのが、まさに亡くなった生徒さんと同じ学校区の小学校でした。

 

当時の私と、いじめ自殺で亡くなった学生さんを分けたのは紙一重だったと思います。私自身、いじめのあった当時は、家族に関しても憶測でものを言われて、ずいぶん悲しい思いをしました。

だから今でも人のうわさ話はしたくないし、憶測だけで言われると本当に勘弁して欲しいと思うときがあります。そして、自分のことが言葉にできませんでした。

 

1980年代は、校内暴力といじめが問題化した時代

当時(1980年代半ば)は中学校の校内暴力が盛んに報道された時代で、私のクラスも外見とは違い荒れていました。市の中心部に位置する古い町で、クラスには閉塞感が漂っていました。

 

私が小学生当時、クラスで順番に誰かをいじめるのが流行りました。ある女子が標的になったとき、担任の先生はそのことに気が付かず「いじめられた〇〇さんも悪いから、〇〇さんの”悪いところ”を皆で指摘しましょう」と学級会を開く始末。

私は自分の番になっても席を立ったまま、何も発言しませんでした。集団リンチと同じだと思ったからです。先生を敬うように育った世代で、10歳になるかならない子供になすすべもありませんでした。

 

その後は私が標的になり、朝学校に来たら私の上履きと机・椅子だけが無くなっていたり、給食の時にゆで卵用の塩を回すのに私には回ってこなかったり、後ろから聞こえよがしにひどい言葉が聞こえてきたり、そういう類のいじめが日常的に一年位続きました。私は途中から学校を休みました。

 

春になって学年が上がるときに担任が男性の先生に代わりました。新しい担任の先生は、私をいじめた男子を放課後の教室で横一列に並ばせて、順番にビンタをしました。その一件が元でいじめがひどくなり、私は市外へ転校しました。

ビンタをした先生の血走った目と、同級生の男子が私を睨むすさんだ表情は、忘れることができません。

 

進学

壮絶ないじめから生き残った私は、転校先で違う教科書にめげずに勉強し、自立した大人になりたいと思いました。いじめの後遺症で中学生になってから体調を崩し(胃をやられました)、中学を卒業した年に膳所高校の通信制(当時)に進学。

とても雰囲気のいい高校で、同級生は皆苦労人で人を貶めるようなことなどしない人ばかり。世代の違った皆さんに良くしてもらい、体調も元に戻りました。

 

当時は今ほど塾があった時代ではなく、中高生で学習塾に通う人はクラスに半数いるかいないか、通信制のサポート校も大都市に出始めだったころです。自分で情報を集めて、進研ゼミのような通信教育で独学で勉強するしかありませんでした。

先生たちは通信制から大学進学など無理だと言いましたが、体育の先生だけは私を励ましてくれました。まだインターネットもない時代、自分で大学の事務に電話して資料を取り寄せて、一人で勉強して高校を3年で卒業。

 

現役で大学に進学できなかったけれど、ある予備校に奨学生として合格し、そこで数年ぶりに同学年の人たちと交流できて、初めて同世代の良さを知り、思い出に残る1年を過ごすことができました。

 

目標にしていた国立大の哲学科が学部編成でなくなってしまい迷っていたところへ、立命館の受験パンフレットを目にします。国際法の先生の言葉「国際法の理念を若い人に知ってほしい」に惹かれて、立命館大学法学部(国際比較法コース)を一般受験し、合格。

その先生のクラスに入ることができ、とても嬉しかったのを昨日のことのように覚えています。色々な分野を勉強していくうちに、卒業後は自分の経験を活かして弁護士になりたいと、司法試験の受験を考えるようになりました。

 

卒業後の試練

大学卒業後は司法試験(ロースクール制度になる前の旧試験)の勉強をしながら、学び働き、唯一の息抜きとして写真を撮るようになりました。

 

試験制度が目まぐるしく変わり、受験回数3回以内の人から優先して合格させたり(注:いわゆる丙案と呼ばれた旧司法試験下の制度。リンク先はウィキペディア)と、試験制度もめちゃくちゃな時期でした。

トンネルの中に入ってしまったような、気ばかり焦るつらい時期が続きました。この試験はどこかに特有のセンスが必要で、センスが分からない限り、”A評価”を受けながら毎年落ちることが続くのです。

 

特定政党の政党員でないと事務員になれないと言われたり、別の士業事務所では面接に行ったら担当者(男性)から電話で付き纏いを受けるといったことも経験しました。

受験のためにずっと張り詰めた毎日を送ってきたので、そんな出来事があって心身ともに疲れ切ってしまい、心の糸がぷつんと切れてしまいそうでした。写真と堅田の町がなかったら、本当に参っていたかもしれません。

 

苦しい時代を救ってくれた写真と堅田

毎週続く答案練習会の帰り、立ち寄った琵琶湖畔の堅田の町で琵琶湖を見ていたら、すべてを溶かしこんでくれるような、堅田の優しい風景がありました。

空と湖はどこまでも輝いていました。

唯一持っていた小さなコンパクトデジカメで、堅田の美しい風景を撮りました。



ゆりかもめ、飛ぶ(浮御堂を背景に)

本堅田の趣ある町並み琵琶湖に続く路地堅田漁港ネコ優しい漁師さん、大好きなおとせの浜ヨシと水鳥、浮御堂と周辺のたくさんの社寺―伊豆神社、神田神社、一休さんが修行した祥瑞寺。

 

堅田小学校のそばから始まる院内道、ヴォーリズ建築の堅田教会本町商店街、そして居初氏庭園(天然図画亭)

琵琶湖と出島灯台

見上げればイーゴス108(観覧車)があって、堅田内湖の向こうには、今堅田の造船所出島灯台

地蔵堂と石仏、杜若(カキツバタ)と紫陽花のお供え(仰木4丁目にて) 1

堅田駅の山側には、里山を公園にした春日山公園と、真野や仰木の里山風景。そして鞍掛神社や衣川廃寺のある衣川地区、琵琶湖に注ぐ天神川

 

それが私の原点になりました。堅田よりも他の地域を撮ったほうがいいと言われたこともありましたが、私は堅田の写真をきっかけにプロになりました。

 

当時自分で買った初めてのコンパクトデジカメは、光学ズーム3倍・約200万画素のカメラでした。2009年夏までブログで掲載していた写真は、すべてQV-2300UXで撮ったものです。今でもきちんと動きます。そんな一つ一つの出来事の積み重ねで、今があります。

 

母が言ってくれた言葉

いつか母が言ってくれた言葉があります。即効性のあるものに飛びつきたくなるかもしれないけれど、月日が一番の薬だと。

この10年のことはまだうまく言葉になりませんが、これからも、見る人がやさしい気持ちになれるような写真を撮っていければいいなと思っています。

堅田の皆さん、ブログKatata/堅田をきっかけにご連絡いただいた皆さん、いつもありがとうございます。(2016年夏・記)(2017年8月末から10月に加筆し、写真とリンクを追加しました。)

 

付記:写真1枚目と2枚目はCASIO QV-2300UX、3枚目と5枚目はNikon D40、4枚目はNikon D7100で撮影しています。


 

Last Update:2017/12/17  Since:2013/1/19